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慣習・しきたり用語集

年忌法要

現状

死者の追善供養のために、祥月命日に行なう仏事を年忌法要といい、1・3・7・13・17・23・27・33年と、3と7のついた年に実施しています。一般に33回忌で終わりますが、なかには50回忌まで勤めるところもあります。

一周忌を満で、回忌は死亡した年を数えて計算します。

準備

年忌法要を行なうには、命日の一ヶ月前に日時、場所、時間を僧侶に相談して決定し、そのあと親族にその旨連絡をします。当日は法要、食事、墓詣りをしますが、参列者の数が確認できましたら、引物の手配をします。

併修

祖母と祖父など祖先の年忌が重なって訪れた場合には、命日の早い方に合わせて、同時に法事を行います。これを併修といいます。併修の場合には、案内状や引物にもその旨を明記します。

いわれ

民俗的な伝承では、人は死んでホトケになるとされています。しかしこのホトケのお位牌は、まだ個性や煩悩が残っているため、仏壇の中に安置されています。33回忌の「弔いあげ」を迎える時分には、ホトケはその個性を失い、先祖の神となって家を守るといわれています。従ってそれまでの間は、子孫は追善供養をしてホトケの世話をするのです。年忌の終りである、「弔いあげ」「問い切り」には、位牌を墓地や寺に納め、「うれつき塔婆」や「太い角塔婆」を、墓地に立てて神に祀り替えるところもあります。

千葉葬儀社アスカより 葬儀用語集「年忌法要」について。

逆さごと

現状

葬儀に関係するものごとでは、通常の逆に行なう「逆さごと」というものが行なわれています。例えば死者の衣装(帷子)を左前に着せる。枕元に屏風をひっくり返して立てる「逆さ屏風」。水にお湯を注いでぬるくする「逆さ水」。死者のふとんを天地逆さにする「逆さ布団」といった作法が残されています。

いわれ

死という異常事態に対処するために、古来よりさまざまな工夫がなされてきました。それは死を生者の領域から隔絶させるための演出というべきもので、それが「逆さ事」という形であらわされました。また死者の世界はこの世とは「あべこべ」になっていると考えられ、例えばこちらの昼が向こうでは夜ということは多くの民族で信じられていました。

そこで、かつて葬儀が夜行なわれたのも、死者が向こうに渡るのに、明るいのがよいというので、こちらでの夜に葬儀を執り行なったといいます。

逆さごとの風習

棺時に足袋を右左逆にはかせたり、洋服の裾を顔の方に、着物の襟を足元に掛けるという「逆さ着物」は、最近でもよく行われている風習です。

逆さ水
逆さ水水にお湯を注いでぬるくします。湯灌(ゆかん)の際などに行います。


逆さ屏風
逆さ屏風屏風の絵柄を天地逆にして枕元に立てかけます。


縦結び
縦結びこま結びを縦に結んだもの。普通は横に結ぶことの逆をします。


左前
左前相手から見て左の衽(おくみ)を上にして着物を着せます(普通は右前)。逆さ着物亡くなった人の衣装をさかさまにしてかぶせます。襟を足のほうにして着せるので、逆さ着物といいます。

死装束と納棺

現状

納棺は死亡したその日のうちにすませるのが普通で、枕経が終り、祭壇の飾りつけが終わった後に納棺され、納棺後のあとに祭壇の手前に安置されて通夜を迎えます。そののち告別式が終了した時点で棺が遺族の前で開かれ、最後の対面になりますが、ここで花や副葬品が納められてから棺の蓋が完全に閉ざされます。

死装束

死装束納棺に先だって、故人に白いさらしの経帷子(死装束)を着せます。経帷子は手甲や脚絆、そして白の頭陀袋から組み合わされています。

これを着せるにあたって、遺族の手で行なうことが大切です。経帷子は左前に合わせ、手足には手甲、脚絆をつけます。足袋をはかせるときには、こはぜをとり、わらじを履かせます。頭には白の三角布をつけ、手に数珠を持たせ、首から六文銭の入った頭陀袋をかけます。経帷子は本来巡礼の装束で、死後は西方浄土に向けて巡礼に出発するという発想があります。

納棺

納棺の方法は、棺の底に薄手の蒲団、または白木綿を敷きます。次に死装束をつけた遺体を、遺族が全員でささえながら仰向けにして棺の中に入れます。手は合掌させて数珠をかけます。そして棺に蓋をしますが、出棺の時まで釘でとめることはしません。

副葬品

出棺に先立ち、故人の棺のなかに入れるものとして、頭陀袋、杖、経典。あるいは生前愛用したタバコ、そして生花などがあります。故人にもたせる杖は、ふだんとは逆に、太いほうを下に細いほうを手元に入れます。女性の副葬品には櫛、カンザシなどがありますが、火葬のときに酒瓶や手鏡など燃えないものは禁じられています。

キリスト式

納棺のとき神父(カトリック)に来てもらい、納棺のことばを捧げてもらいます。遺体の両手は胸で組み合わせ、生前愛用していた十字架を持たせます。納棺は遺族で行い、遺体の周囲を白い生花で飾ったあと、蓋をして黒布で覆って安置します。

いわれ

経帷子(きょうかたびら)、つまり経文を書いた衣を着せる起源は、もともと真言密教の説に基づいています。ダラニ(梵語の文句)の威力によって、これを身に帯びるなり衣に書けば、死を迎えるときにも心が乱れず、一切の仏が現われて慰めるという「ダラニ経」の一説から来ています。経帷子に書く書式は宗派によって異なります。

香典の相場

千葉葬儀社アスカより 基本知識「香典の相場」について。

戒名・法名

現状

仏式の葬儀を行う場合、故人にはその人にふさわしい戒名(浄土真宗では法名といいます)がつけられます。住職に葬儀の勤行をお願いする際、戒名のお願いもいたします。

また院号などを付ける場合にはあらかじめ、それをお願いしなくてはなりません。戒名は宗派によってその構成が異なっていますので、故人の宗派を間違えないようにしなければなりません。故人の宗派がわからない時や、菩提寺が離れている場合には俗名のままで葬儀を行ない、改めて墓や遺骨を管理する寺院にお願いすることもあります。

戒名の位階など
院殿号

昔なら天皇や大名に限られた最上位の名称。現代では信仰が深く寺に貢献した人や、社会に尽くした人に授けられます。

院号

院殿号に次ぐ位で、昔なら奉行や役付きの侍などに授けられました。現代では、やはり寺院や社会に貢献した人が対象となります。

居士・信士(大姉・信女)

一般庶民に授けられる名称。

童子(童女)

子供に授けられる名称。

孩子(孩女)

赤ちゃんに授けられる名称。

宗派による戒名

浄土宗は誉号といって五重相伝を受けた人に授けられ「誉」の字が用いられます。浄土真宗は戒名のことを法名といい、男子(釈)、女子(釈尼)を用います。日蓮宗は日号といって男子は「日」を、女子には「妙」の一字が贈られます。なお天台宗の位牌には、戒名の上に新円寂と記されたり、真言宗では梵字が記されたりすることがあります。

いわれ

戒名は本来生前出家して、師の僧から戒を授けられるときに与えられる名前で、法名、法号ともいいます。日本では継体天皇(530没)の頃の渡来人、司馬達等のむすめが、584年、慧便の弟子として出家し慧信尼という戒名をさずけられました。(『日本書紀』敏達天皇より)

日本では奈良時代に鑑真によってつくられた三戒壇、またのちに比叡山につくられた円頓戒を受けた者が正式な僧とされ、葬儀で死者に授けるのは結縁受戒といいます。

位牌

現状

位牌は故人の戒名(法名)を書いた板で、通夜式や葬儀の際には白木の位牌を祭壇に飾ります。葬儀が終了しましたら、この位牌は遺影とともに火葬場にお持ちします。火葬がすみましたら、遺骨と一緒に後飾り壇に安置し、初七日法要を行います。なお忌明け法要には、白木の位牌とともに塗位牌(本位牌)を使用します。

塗り位牌の準備

忌明け法要までに塗位牌(回出し位牌)を準備します。仏壇は、できれば法要までに購入して、開眼(かいげん)供養もあわせて営みます。忌明けに、白木の位牌を塗位牌か、回出し位牌にかえます。(回出し位牌には、戒名を書いた板を複数入れることが出来ます)

※なお浄土真宗では、過去帳や法名軸を用います。

いわれ

位牌はもともと中国が発祥地で、儒教では死者の依代(よりしろ)である木主が用いられました。これを宋の時代に禅僧が日本に持ち込み、仏式の位牌として用いられるようになりました。位牌が一般に普及したのは江戸時代で、檀家制度が確立してからです。

千葉葬儀社アスカより 位牌について。

通夜

現状

通夜には遺族・親類縁者が集まって、故人の番をしながら静かに最後の夜を過ごします。最近では半通夜といって、夜6時頃より一時間ほどの式を行ないます。

自宅で行なう時は、受付の人をきめて弔問者の名前を記帳していただく用意をします。また式が終わったあとには、弔問者一人一人に通夜粗供養品等をお渡しするために、あらかじめ人数を予測してその分を用意します。

通夜式

開始時間とともに僧侶が入場し、読経が始まります。席次は祭壇の右に喪主、遺族と関係の深い者から並びます。(式場によって異なることがあります。)読経が始まり、喪主より順に焼香を行ないます。一般焼香が終わりましたら、最後に喪主はお礼の挨拶を行ないます。そして通夜ぶるまいに入ります。

通夜ぶるまいとは

通夜式のあとにお礼と供養を兼ねて、弔問客に料理を施すことを指します。最近では簡素化されて料理も寿司、サンドイッチなどを大皿に盛って、めいめいに取っていただく形式がふえています。

神式の通夜

神式では葬場祭(告別の儀)の前夜に行います。この儀のあと遷霊祭を行います。これは故人の霊を霊璽に移す儀式で、神官が祭詞を奏上したあと、斎主、喪主、家族の玉串奉奠が行われます。

キリスト式の通夜

「前夜式」とよび、棺の安置された部屋で牧師・神父の司会で行なわれます。

いわれ

通夜はもともと故人の蘇生を願うために、夜を徹して故人の生前の徳を讃え、みんなで飲んだり踊ったりして夜を徹してすごしました。死者を交えた饗宴は世界各地にその例が見られます。

アイヌでは死者のために団子や酒を供え、客を呼んで宴を張ります。通夜に共通することは夜眠らないということで、そのために酒などを飲んで陽気にさわぐというのがその理由です。

千葉葬儀社アスカより 「通夜」について。

骨あげ

現状

火葬場では火葬炉に棺を安置したあと、読経、焼香をします。点火したあと火葬には約一時間半ほどかかりますので、遺族の方は控え室で待ちます。時間になりましたら、再び炉の方に戻って、遺族の方々による「収骨」あるいは「骨あげ」を行ないます。

収骨には竹ばしを用い、二人一組になって一片ずつはさんで骨壷に納め一度拾ったら次の人に渡します。この儀式を「はしわたし」といい、亡き人をこの世からあの世に送り届けるという意味が込められています。

骨あげの順序

骨あげは火葬場係員の指示によって行います。地域によって手順は異なりますが、一般的に遺骨ははじめに歯を拾い、そのあとは足から順に拾って腕、腰、背、肋骨へと順に拾って最後に頭部を骨壷に入れるようにします。

なお喉仏の骨は最後に故人と最も縁の深い二人が拾います。骨あげがすんだら、遺骨を納めた骨壷を白布の箱に納め、喪主が抱いて帰ります。分骨が必要な場合は、あらかじめその数を係員に申し出る必要があります。

死体火埋葬許可証

火葬するには、死体火埋葬許可証が必要です。火葬場に着いたら管理事務所で火埋葬許可証を提出します。帰りに管理事務所により、火葬許可証執行済みの判の押してある埋葬許可証を受け取ります。

お骨迎え

家に戻った遺骨は、後飾り壇に安置します。そしてローソクに点火し、線香をあげて読経します。後飾り壇には遺影、位牌、花、ローソク、香炉、鈴をならべ、忌明けまでこの壇で供養します。

いわれ

かっては、最も暗い丑(うし)三つ時に火を入れて火葬したあと、火力が現在よりもずっと弱かったために、収骨は翌朝になってから行なわれました。収骨の際に、先に歯を拾う由来は、釈尊の荼毘の時に、先に歯を拾い阿闍世王に与えたことによります。また日本での納骨の歴史も古く、高野山に納骨した記録は十二世紀に著された『兵範記』などに記されています。

千葉葬儀社アスカより 「骨あげ」について。

服喪

現状

喪とは人の死後、親族が家族の死を悼んで、特定の期間遊びや笑いをつつしみ、また酒肉を断って家に謹慎することをいいます。しかし現在では葬儀・法要以外は喪服を脱ぎ、普段と同じ生活をするようになりました。

しかし喪中はできるだけ派手なレジャーや遊興を避け、結婚式の出席や神社の参拝、年始参りも控えるのが普通です。

忌引期間

官公庁服務規定によると、忌引期間は次のように定められています。

  • 配偶者‥‥‥(10日)
  • 父母‥‥‥‥(7日)
  • 子供‥‥‥‥(5日)
  • 祖父母‥‥‥(3日)
  • 兄弟姉妹‥‥(3日)
  • 孫‥‥‥‥‥(1日)
  • 叔父・叔母‥(1日)
喪中の年賀はがき

喪中には年賀状を出さず、年賀欠礼の案内はがきを12月のはじめに到着するように出します。年賀欠礼は、故人と年賀状を交換していた人を忘れないようにします。また「喪中につき年賀欠礼します」だけの文面ですと、誰が亡くなったのかわかりませんので、死亡者名も明記しておきます。

いわれ

かつての忌服令では中国の影響で父母の死は「忌」が死後49日、喪の期間は、死後1年とされています。喪の間の食事について中国の儀式の古典である『礼記』「間伝」には、「父母の喪には3日間は断食で、3日目死者を棺に納めて祭ったあとに初めて粥を食う。以後も粗飯に水ばかりで野菜も食べない。1年の小祥忌が終わって、初めて野菜・果物を食べる。そして3年忌の大祥に初めて、酒、肉が許される」とあります。

満中陰法要(四十九日法要)

現状

臨終から忌明け法要までは、7日目ごとの法要があります。初七日(しょなのか)忌、二七日(ふたなのか)忌、三七日(みなのか)忌、四七日(よなのか)忌、五七日(いつなのか)忌、六七日(むなのか)忌、七七日(なななのか)忌の7つです。初七日は死亡日(あるいは死亡前日)から7日目に行ないますが、現在では遠隔地から出向いた近親者を考慮して、葬儀の当日、還骨法要と共に行なうことが多くなりました。

なお、忌明け法要も早くなって、五七日忌(35日)に行なうことが一般的になっています。初七日などの法要の日数の数え方は、関東では死亡日当日から数えますが、関西では死亡前日から数えることが多いようです。

満中陰法要

忌明けには、忌明け法要を行ないます。あらかじめ日取りを決めて僧侶に依頼します。日取りは法事に出席しやすい土・日曜日が多いようです。また事前に法事の会場、料理、引物などを手配します。塗位牌はこの日までに用意して、法要のあと仏壇に納めます。

この日に納骨を行なう場合には、法要のあと墓地に行き、僧侶の立会のもとで納骨を行ないます。精進落しでは、生ものを使った料理で参列者を接待し、食事のあと「引物」をわたします。この日には神棚に貼られていた紙を取ります。

神式の忌明け

神式では死後50日目を「五十日祭」として祭ります。

いわれ

人の死後四十九日の間を仏教では中陰の期間といって、六道輪廻の間をさまよう期間とされました。この期間に行なう供養を中陰供養といいます。

『梵網経』には、例え生前中に、悪行を重ねた人でも、遺族が7日毎に追善供養をすれば、死者もその功徳を受けるとあります。四十九日目は、審判で死者の運命が決まるとされており、満中陰といわれています。また鎌倉時代から始まった十三仏信仰というものは、初七日から三十三回忌までの13回の重要な法要に、13の仏菩薩を本尊として配当するものです。法要にはこれら十三仏を描いた掛け軸を掛けることがあります。

  • 初七日(不動明王)
  • 二七日(釈迦如来)
  • 三七日(文珠菩薩)
  • 四七日(普賢菩薩)
  • 五七日(地蔵菩薩)
  • 六七日(弥勒菩薩)
  • 七七日(薬師如来)
  • 百カ日(観音菩薩)
  • 一周忌(勢至菩薩)
  • 三回忌(阿弥陀如来)
  • 七回忌(阿しゅく如来)
  • 十三回忌(大日如来)
  • 三十三回忌(虚空菩薩)

また「忌」明けとは、中陰の期間である死者の六道輪廻が終了して六道の何処かに生まれ変わることを意味し、それとともに忌の汚れが除かれたことを祝う行事です。そこでこの法要は盛大に行なわれることになります。

『源氏物語』「夕顔」にも「かの人の四十九日忍びて、比叡の法華堂にて、ことそがず装束よりはじめてさるべきものども、こまかに誦経などせさせ給う。経仏の飾りまでおろかならず」とあります。千葉葬儀社アスカより 満中陰法要(四十九日法要)について

お盆とお彼岸

お盆の現状

一般には7月12日をお盆の入りとし、お盆明けの16日までの4日間、お盆の行事が行われます。地方によっては、旧暦の7月、あるいは1月おくれの8月13日から16日までのところもあります。お盆を迎えるにあたって、まず13日の朝には、仏壇を清掃し、次に「精霊棚」を作ります。

精霊棚(しょうりょうだな)

仏壇の前に小机を置き、その上に真菰(まこも)やすのこを敷きます。また仏壇の引きだしを、精霊棚にしつらえることもあるようです。

お盆の主な行事

13日の夕方には門口で、オガラなどで迎え火をたき、玄関に提灯をさげ、迎えダンゴを供えます。14日には、なすときゅうりのごまあえなどを供えます。15日には「蓮飯」といって、蓮の葉にご飯を包んだものや、なすやきゅうりで馬や牛を作って供えます。16日には、門口で送り火をたきます。

棚経

お盆の期間、霊が滞在している間に、「棚経」といって、僧侶に精霊棚の前で、読経をしてもらいます。この時「御布施」を渡します。

初盆

人が亡くなったあと、初めて迎えるお盆を、「新盆」とか「初盆」といい、ていねいに供養します。忌明け前にお盆になるときには、翌年が新盆となります。たとえば、亡くなった日が6月末で、七七忌(49日)を終えていない新仏の霊について、翌年を待って新盆とします。新盆は、普段のお供物の他に、故人の好物などを供えます。そして、親族や故人に縁のあった方を招き、僧侶に読経してもらい、精進料理でもてなします。また、新盆には親族などから、盆提灯が贈られることがあります。

正式には、白い提灯に喪家の家紋を入れ、一対にして飾ります。しかし、最近は、毎年使えるようにと、模様のある提灯を贈ることが多くなっています。

お盆のいわれ

「盂蘭盆(うらぼん)経」によると、釈尊の高弟である目連の母親が、餓鬼道に落ちて苦しんでいたので、目連は、母の苦しみを除こうと思い、救済の仕方を釈尊に尋ねました。すると釈尊は毎年7月15日の安居の終わった日に、多くの僧に飲食を供養すれば、七世の父母を救うことが出来ると教えたのです。目連はさっそく母の供養を行ない、母を救ったことから、盂蘭盆が始まったといいます。

日本での盂蘭盆は斉明3年(657年)7月15日に飛鳥寺の西で、初めて盂蘭盆会が行われました。鎌倉時代からは施餓鬼(せがき)を、あわせて行うようになり、江戸時代には一般民衆の間で、欠かせない行事として定着しました。

お彼岸の現状

昔から日本では、春分、秋分の日を中日として、その前後七日間を「お彼岸」として祖先の霊を供養してきました。初日を彼岸の入り、終日を彼岸のあけといいます。彼岸とは三途の川の向こう岸ということで、祖先が無事彼岸に渡れることを願って、供養が行われています。この彼岸の期間には、各寺院では彼岸会法要が営まれ、家庭では、自宅の仏壇や御骨が納められているお墓にお参りする習慣あります。

仏壇の参り方

仏壇には、炊き立てのご飯、お茶、水、花を供えます。そしてローソクに火を灯して線香をあげます。数珠をかけ、合掌礼拝をしたあと、お経をあげます。礼拝を終えたら、ローソクの火を手やうちわで消します。

お墓参りの仕方

墓についたらまず清掃をします。墓石はタワシでこすり水をかけてきれいにします。墓がきれいになったら、花と線香を供えます。線香は束になった線香に火をつけて供え、手おけに酌んだ水を墓石にかけてから合掌します。墓石がいくつもあるときは、古い祖先の墓から拝みます。

香典返し

現状

香典のお返しは49日の忌明け法要のあとに、忌明けの報告とお礼をかねて行います。現在では当日にお返しすることも多くなりました。その際には香典額の2分の1から3分の1くらいの品物を、礼状を添えてお返しするのが一般的です。

香典返しの商品は、シーツ、バスタオル、ハンカチ、緑茶、石鹸、椎茸、コーヒーセット、砂糖など、どこの家でも使う日用品が主に使われています。弔事用ののし紙に「志」と表書きし、その下に喪主の姓名を書きます。なお、香典返しを受けた場合には、それに対する礼状は出さないことになっています。

香典返しの礼状

礼状には、奉書タイプとはがきタイプがあり、一般的にはあらかじめ用意されてある文例に名前、日付などを入れて印刷します。文面には、会葬のお礼、忌明け法要を営んだ旨を述べ、それに香典返し品物を添えたことを記します。

礼状の文例

謹啓
時下益々ご清祥の段 慶賀の至りに存じます
先般祖父 ○○○○ 死去の節は御鄭重な御弔詞を忝うし且つ霊前に過分の御供物を賜り 御芳情の程洵に有難く厚く御礼申し上げます

本日○○○○○○(戒名)七七日忌に際し供養の印までに心ばかりの品お届け申し上げました
御受納下さいますれば幸甚に存じます早速拝趨の上 御礼申し上ぐべき筈の処 略儀ながら書中を以て謹んで御挨拶申し上げます

敬具

平成○年○月 ○○○○(喪主・氏名)

その他

神式の50日祭での忌明けの香典返しには表書きに「偲草」とします。キリスト式では表書きは「志」とします。挨拶文は、仏教用語を使用しないようにします。

香典返し費用の地域別平均額

お香典の最多回答額と平均額

上:最多回答額(円) 下:1回あたりの平均金額

資料:三和銀行」金銭からみたおつき合い調査」平成9年より

喪服

通夜の会葬者の喪服

通夜の服装は、男性は黒の略礼服が多くなりました。また黒っぽいスーツを着ている人も見かけます。これは通夜は急いで駆けつけるという意味もあって失礼にはなりません。女性は黒っぽいワンピースかツーピース。和装なら紋つき羽織を着けています。

葬儀・告別式の会葬者の服装

遺族や近親者、世話役代表(葬儀委員長)は、正式の喪服を着用しますが、その他の一般弔問客は略式の喪服でよいでしょう。略式の揚合、男性はダークスーツに黒ネクタイ、黒の靴下でよいでしょう。女性の場合、黒のワンピースかツーピース。和装なら黒の一つ紋の着物、帯やハンドバックなども黒の物を用います。アクセサリーはつけませんが、真珠ならかまいません。喪章は、遺族が喪に服していることを示すものですから、世話役などで喪家側の人間としてお手伝いする場合にはつけますが、一般の会葬者は着けません。

女性の喪服の注意点

男性の場合、ブラックスーツを着用すれば、喪服として間違いありません。女性の場合もブラックフォーマルコーナーで購入したものであれば問題ありませんが、手持ちの服で間に合わせる際には迷うことがあるかもしれません。その際に注意することとして、次の3つをあげておきますので目安にしてください。(1)光沢のあるもの、透けるものは避ける。(2)夏場でも袖のないものは避けて肌の露出を控え、シンプルなデザインのものにする。(3)ブラウスを着用する場合、黒にする。葬儀という式に参列するのですから、それなりの礼節を保ちたいものです。

学生、子どもの服装

学生は、男女ともに制服が喪服となります。なければ黒または地味な服装(グレーなど)に、腕章を右腕に巻くか胸に喪章かリボンをつけます。靴は黒、靴下も黒か白いものを使用します。また真夏には、男子なら白のシャツに黒ズボンと黒靴、女子なら白のブラウスに黒のスカート、黒靴がよいでしょう。

喪主の喪服(通夜)

通夜には喪主や遺族も正式喪服ではなく、略式にしています。男性は黒のスーツに白のワイシャツ、黒のネクタイと黒の靴下です。和装では少なくなってきましたが、黒っぽい無地の小紋の着物に、一つ紋か三つ紋の羽織、袴をつけます。女性の場合は黒無地のワンピースまたはツーピース。和装なら、黒無地か地味な無地のものにします。

喪主の正式喪服

※横にスクロールします

  男性 女性
和服 和服の場合、黒羽二重の染抜き五つ紋付きに羽織袴で、慶事と同じ装いです。袴は仙台平で、帯は角帯。下着の衿は羽二重で、白、ねずみ色などを用います。下着の衿は弔事には重ねません。足袋は白が正式ですが、地方によっては黒が用いられています。 和装の場合、関西では地紋のない縮緬、関東では羽二重に染抜きの五つ紋をつけた黒の無地が正式とされています。夏の喪服は、あわせと同じ五つ紋付きの黒無地で、六月と九月がひとえ、七、八月は絽が正式とされていますが、最近では六月から九月まで絽で通すことが多いようです。帯は、絽か紗の黒の名古屋帯が一般的です。
喪服 洋装の正式喪服は、黒のモーニングに黒のネクタイです。チョッキはシングルで、上着と共地です。ズボンは縞柄で、裾はシングルです。モーニングは昼間の礼装ですので、通夜では黒のスーツがよいでしょう。 洋装の正式喪服は、黒無地のワンピース、スーツ、アンサンブルです。ボタン、バックルは、共布か光沢のない共色にします。黒は飾りのない黒のパンプスが正式です。アクセサリーは結婚指輪以外はつけないのが本来です。
キリスト葬の場合

キリスト葬の場合には、男子の正式喪服はモーニングとなっています。ネクタイは黒、手袋は黒か灰色です。女性の場合には黒色が正式ですが、カトリックに属している方は黒かそれに近い色のベールをかぶります。

法要の服装

忌明け法要などには、喪服に近いものを着ますが、一周忌、三回忌と回を重ねるにしたがって、喪の表現は少なくしていくのが一般のしきたりです。一般的には地味な平服で差し支えありません。男性はダークスーツにネクタイ、靴下も派手なものでなければ、黒にそろえる必要はありません。女性は、色無地の着物に黒帯か、洋装なら黒でなくとも、地味なワンピースやスーツならよいでしょう。アクセサリーは目立たないものにします。おおよそ三回忌までは略式喪服を着るようにするのが無難でしょう。

※ホテル、料亭で法要を行う場合には、地味なスーツで出席する人がふえてきました。

いわれ

喪服は凶服ともいわれ、父母・妻子、親戚等の「忌服」の間は、喪服を着ることが定められていました。「忌服令」にある「服」とは喪服を着るべき期間のことで、服者は神事に携わることは禁じられ、また公事にも参加できませんでした。服喪期間がすぎて、これを脱ぐことを除服といい、河原や門前で行ないました。このように、もともと遺族のみが喪服を着ることが義務づけられており、一般会葬者は喪服を着る定めはなかったのですが、大正後期から、一般会葬者も喪服を着用するようになってきました。また遺族も喪の期間を通して着服することはせず、葬儀の時にのみ喪服を着るように変わってきました。

千葉葬儀社アスカより 基本知識「喪服について」

年代別の香典金額

お香典の最多回答額と平均額

上:最多回答額(円)
下:1回あたりの平均金額

資料:三和銀行」金銭からみたおつき合い調査」平成9年より

数珠

現状

数珠は葬儀や法事などの仏事に持参するもので、一般に一連、単念珠が多く用いられています。

材質は透明な水晶や色の美しい珊瑚、渋い色の香木などがあります。普通数珠は、持っている場合左手首にかけるか、房を下にして左手で持ちます。合掌の時には、両手の親指以外の指を輪の中に入れ、親指と人差し指で支えるようにします。

自分とは違う宗派の葬儀に出席する場合にも、自分の属する宗派の数珠を持参しているようです。

宗派と数珠

宗派によっても数珠の形が異なりますが、略式のものなら、各宗共通に用います。真言宗の念珠は振分数珠と呼ばれ、八宗用に用いられることがあります。浄土宗の念珠は、仏名を数えながら数珠をくりますので、二つの輪違いに丸かんがついています。一般信者用としては、片手数珠が多く用いられています。日蓮宗の念珠は、読経唱題の数を記憶するために、百八個の数珠を用いることを勧めています。

男性用と女性用

市販の数珠には男性用と女性用があり、珠の大きさや色が違っています。本来数珠は僧侶が仏事に使用するもので念珠(ねんじゅ)ともよばれます。現在では材質、珠の大きさなどの違いで男性用、女性用に分けられています。素材としてはお釈迦様が菩提樹(ぼだいじゅ)の下で悟りを開いたといういわれからか、菩提樹の実が一番いいものとされていますが、現在は男性用には黒檀(こくたん)が一般的です。また女性用は男性用に比べ珠は小さく、琥珀(こはく)、瑪瑙(めのう)、白珊瑚(しろさんご)、水晶、真珠、象牙などが用いられています。

用い方

合掌するときは数珠を両手にかけ、親指で押さえるのが一般的です。焼香の時手のひらの中で数珠をこすりあわせますが、これは浄土宗では禁じられています。また浄土真宗の二輪で長房の数珠を使用する場合には、二つの親玉を親指の所ではさみ、房は左側に下げて合掌します。

いわれ

数珠は古来ヒンズー教のバラモンが儀礼用に用いていたもので、現在もヒンズー教徒の間で用いられています。その後、密教僧が用い始め一般仏教徒も用いるようになりました。数珠は「念珠」ともいい、念誦する題目などの数を記憶するために用いられました。念珠の珠の数は、人間の百八の煩悩を表しています。従ってもとは百八個の珠をつないでいましたが、百八では長すぎるので、2~4分の1に省略して用いられています。日本に数珠が入ってきたのは天平8年(736年)、天竺僧の菩提仙那が来朝の際、天皇の献納品の一つであったといいます。

千葉葬儀社アスカより 基本知識「数珠」について。

焼香(抹香・線香)

現状

通夜では、僧侶の読経中に焼香するケースが多く見られます。焼香には、立礼、座礼とありますが、作法は少し異なります。

立礼

立礼の場合、順番が来たらまず前に進み、遺族と僧侶に一礼し、続いて身を正して頭を下げてご本尊に合掌拝礼します。そのあと合掌し、最後にもう一度拝礼し、前向きのまま祭壇から2、3歩退いて元の席に戻ります。(但し縁台等の立礼では、2、3歩退く事はしません)

座礼

座礼の場合にも腰をかがめて祭壇前にすすみます。喪主に一礼してから前に進み、祭壇に向かって頭をさげます。次に膝で前へ進み遺影に向かって合掌してから抹香を右手に取り焼香します。そのあと再度合掌し、喪主に一礼して立ち上がってから退きます。

座礼の手順

(1)霊前の祭壇少し手前で僧侶と遺族に一礼します。


(2)祭壇の前で、両手に数珠をかけ一礼し、合掌します。


(3)香を親指、人さし指、中指で、つまみ静かに香炉に落とします。


(4)焼香が終わったら再び合掌して一礼します。


(5)前向きのまま祭壇前から下がって、僧侶、遺族に一礼して自席に戻ります。


回し焼香

葬儀の式場が狭い時には、香と香炉を盆に乗せて回し焼香を行ないます。この時、本尊の方角に礼をし、香をつまんで焼香を行ない合掌礼拝して、隣の人に回します。

宗派による違い

焼香回数は宗派で規定しているところがあります。真言宗では3回、線香も3本立てます。身・口・意の三業を清めるのがその理由です。

真宗大谷派では2回、浄土真宗本願寺派では1回、線香は立てないで折って寝かせます。また真宗では、焼香に際して香を額におし戴きません。曹洞宗では2回、線香は1本です。

線香での焼香のしかた(座礼)

線香のあげ方は宗派によって違います。長いまま1本をあげる臨済宗、離して3本の真言宗、折って寝かせる浄土真宗、折らずに寝かせるのが日蓮宗です。

焼香の際には、霊前まで進みます。そして喪主に一礼をして、祭壇に向かって合掌をします。このあと、線香を取りローソクで火をつけます。このとき炎は手であおいで消します。息をふきかけて消すのは禁物です。そして線香を香炉に立てます。ここでもう一度合掌してから、そのまま後ろにさがります。最後に遺族に一礼をして、自席にもどります。

いわれ

焼香は仏教儀礼につきもので、釈尊在世当時から行なわれていました。日本には、推古天皇(628没)の御世に淡路島に香木が漂着したと『日本書紀』に記されています。唐の鑑真和尚(753来朝)が仏典とともに、香木を携えてきたというのが香流行のはしりといえます。香は特に夏など部屋の臭気を消すために用いましたが、神仏の食料ともいわれ、高価なために珍重されました。

千葉葬儀社アスカより 基本知識、焼香(抹香・線香)について。

玉串奉奠(たまぐしほうてん)

神式(玉串奉奠の仕方)

神事で行う「玉串奉奠」は、仏式の焼香にあたるものといってよいでしょう。玉串とは榊の小枝に紙垂(しで)をつけたものです。玉串奉奠とは、玉串に自分の心をのせ、神にささげるという意味がこめられています。

玉串のささげかた

神職の前に並んで順番を待ちます。自分の番がきたら、神職および遺族に一礼してから、玉串を両手で受け取ります。このとき玉串は右が枝元、左に葉がくるように渡されますから、右手の親指を下にし、左手で支えるように受け、枝元が胸の高さになるようにやや持ち上げて一礼します。次に祭壇前にすすんで玉串案に供えます。

  1. やや手前で一礼します。
  2. 左手で葉の部分を支えながら、右の手のひらを返し、玉串を半回転させます。
  3. 枝元を祭壇に向けて玉串案に供えます。
  4. 遺影を仰いで深く二礼し、2回しのび手(音を立てない)でかしわ手を打って一礼し、2、3歩後ずさりします。
  5. 向きを変えて神職と遺族に一礼し、自席にもどります。

(1)玉串は根元のほうを右手、枝先のほうを左手で受け取り、胸のあたりで軽く肘を張ります。


(2)左手で葉の部分を支えながら、右の手のひらを返し、玉串を右に90度ほど回します。


(3)左手を玉串のもとのほうへ下げて持ち、右手は中ほどを下から支えながら、玉串を右へ半回転させます。


(4)根元を祭壇に向けて置きます。

千葉葬儀社アスカより 基本知識「玉串奉奠」について。

献花

キリスト教式(献花の仕方)

キリスト教式による通夜や葬儀では、献花が行われます。このしきたりは、本来、キリスト教の儀礼にはないものでしたが、いわば仏式の焼香に代わるものとして、祭壇の前に1人1人が花をささげるという行為が生まれました。献花によく用いられる花はキクやカーネーションです。

献花台への供えかた

自分の番がきたら、花を一輪受け取ります。花が右、茎元が左にくるように渡されますから、両手で花を持ちます。そして献花台の前に進み、花が手前になるように持ち直し、献花台に供えます。そのまま1、2歩さがり深く一礼し、司式者(神父か牧師)、家族に一礼してもどります。

キリスト教の信者の人は、胸元で十字を切ったり、両手を組み合わせてお祈りをささげますが、一般の人にはその必要はありません。

(1)花を右にして受け取ります。


(2)90度右に回し花を手前にします。


(3)左の掌をかえして献花台の上に置き、一礼します。

千葉葬儀社アスカより基本知識「献花」について。

香典

現状

葬儀に出席する場合に、香典袋に入れて通夜、あるいは葬儀の時に持参します。金額については、身上の者に相談したり、あるいは最新のデータなどを取り寄せて参考にするケースが多いようです。

香典を持参する方法
  • 地味な色の袱紗(ふくさ)に包むようにします。
  • 袱紗は、直接ポケットやバッグに入れても、袋が折れたりしわにならないようにするためです。
  • 台付袱紗で台の色が赤いものは慶事用ですので、気をつけましょう。
  • 袱紗に包むときは、つめを左側にして中央に香典をおき、右、下、上の順にたたみます。
差し出し方

袱紗に包み、受付で表側を上にして開きます。そして香典は表書きの名前を相手側に向けて差し出します。そのあと会葬者名簿に記帳します。通夜などで受付が設けられていない場合には、祭壇に供えます。その際香典の表書きはこちら向きになるように置きます。通夜と葬儀両方に出席する場合には通夜に持参します。

香典袋の折りたたみ方

袋を折る場合には不祝儀袋ですので、左手前に折るのが正式です。裏面は上側が下の折られた紙の上に重なるようにします。香典に用いるお金は、あらかじめ準備してあったことを嫌い、一般的に使用したお札を使いますが、新札を使う場合は、一度折り目を入れて用います。

香典額

金額は、故人との親しさの程度や土地の慣習、故人の社会的地位などによって違います。親戚関係では、両親が死亡したときは10万円、兄弟のときには3~5万円ぐらいです。近所づきあい程度の場合ですと、隣組などで一軒5,000円。親しい間柄で、最低5,000~10,000円が普通でしょう。(三和銀行「金銭からみた付き合い調査」平成10年)

郵送

香典を郵送されるときは、現金を不祝儀袋に入れ、お悔やみ文を同封して官製の現金封筒に入れて送ります。

いわれ

死者に香をお供えする代わりに、金銭を差し出すという意味がありました。また昔から葬儀の時には色々と費用がかかるため、地域の人が助け合う目的で米や食物などをお供えし香典としました。香典の「典」は本来は尊い書物(仏典など)の意味があり、香奠の「奠」の字は神仏に物を供えて祭るという意味があります。

表書き

現状

香典や布施の表書きは、儀式を行なう宗教(仏式・キリスト式等)によって異なりますし、また葬儀・法要によっても異なります。現在市販されている不祝儀袋には、あらかじめ表書きが印刷されている場合がありますので、これを使用される方が多くなりました。

書く位置

書く位置水引きラインからわずかに下がった中央に氏名を書き、裏面の左端に金額と氏名・住所を書きます。中袋に書くときは、表中央に金額、裏面左端に住所・氏名を書きます。住所は、受け取られた方が記録をつけますので、必ず記します。連名の場合、表に氏名を書くのは3名までで、右側に目上の人の名前を入れます。人数がそれ以上の場合は「○○課一同」「○○会一同」などと書き、全員の住所・氏名を別紙に書いて中包に入れます。合同慰霊祭など死者水引が複数の場合には、だれ宛ての香典か分かりませんので、上段の右上に故人の名前を書いておきます。

名刺を使用する場合

故人と仕事関係などで遺族には面識のない場合に、名刺を不祝儀袋の表面(水引より下部)に貼ることがあります。

表書きの種類

表書きの種類葬儀の不祝儀袋の表書きは、仏式の葬儀には「御香奠」「御香典」とします。また神式の香典は「御玉串料」、キリスト教式の香典には「御花料」とします。また「御霊前」は各宗教に用いることができます。

僧侶・神官・神父(牧師)へのお礼の表書き

僧侶などへのお礼表書き仏式では「御布施」、神式では「御榊料」、キリスト式では「御礼」とします。仏式、神式では白の包に水引きをかけますが、キリスト式では、奉書に包み水引きはしません。

心づけの表書き

心づけ表書き霊柩車の運転手など、心づけを渡す場合には、白の封筒に「寸志」と書きます。また葬儀を手伝って頂いた方には「志」とします。仏式では「御霊前」「御香典」「御香奠」が一般的です。浄土真宗では「御霊前」は相応しくないという考え方もあります。

神式、キリスト式の表書き

神式・キリスト式の表書き以上のどの宗教もが焼香を行ないませんので、「御香奠」は相応しくありません。従って「御霊前」が共通に用いられています。その他、神式には「御玉串料」、キリスト教式では「御花料」と書きます。

千葉葬儀社アスカより 基本知識「香典の表書き」について。

友引

現状

葬儀の当日が「友引」にあたると、翌日に葬儀を行なう習慣があります。そのため、葬儀の前夜に「本通夜」を、その前夜には身内だけで「仮通夜」を行なうことになります。現在「友引」に葬儀を行なわないという習慣は、多くの人が守っています。

火葬場の現状

全国的にみて、友引には火葬場が休業する地域があります。そうした地域では友引明けの日に、火葬場が普段よりも混み合い、場合によってはその日に火葬を行うことが出来ないこともあります。現在では火葬場での火葬を予約し、それから日程を決めることがあります。

いわれ

「友引」はその日に葬儀を行なうと、友を引き寄せて一緒に冥土に連れて行くという、迷信から起こった風習です。これは先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口の順序で循環する六曜の一つで、旧歴正月の1日が「先勝」、2月の1日から「友引」を当てて、6日ごとに循環する仕組みです。

本来の意味は、孔明六曜星では「相打ち共引きとて、勝負なしと知るべし」とされ、引き分けの意味で悪い意味はなかったのですが、葬送の凶日凶方を知る「友曵方」とが、混同されて信じられたものといいます。

その他の説では、1716年(亨保元年)に表された『暦之抄』の中に、辰・巳・午の日には葬儀をしてはいけないとあります。これとは逆に二十八宿における「昴」と「ともぼし」が葬送にふさわしいとされています。六曜の名称が今のような形になったのは、江戸時代末で、それが普及したのは幕末の頃と言われています。

千葉アスカより 基本知識「友引」について。

神棚封じ

現状

家族の誰かが死亡した場合、死の忌みを嫌う神棚には、白の紙を貼って封印することを「神棚封じ」といいます。古くは、家の者はけがれているため神棚封じは第三者がするものとされてきましたが、最近では家の者が行なうようになりました。この白の紙は忌明けまで貼っておき、忌明けとともに取り除きます。

この間、神棚は閉ざされていますので、普段のお祭りは中断します。

仏壇の場合

葬儀や忌明けまで、ところによっては仏壇を閉ざすところもありますが、仏教では神道のように死者を汚れたものと見做すことはありませんが、仏壇を閉ざす所もあります。浄土真宗や日蓮正宗では仏壇の扉を閉めませんが、他の宗派では閉めている場合が多いようです。また中陰の期間中はお位牌は中陰壇に祭られますので、そちらでの供養が中心となります。

いわれ

昔から神道では死や出産などを汚れとして取り扱いました。

かつては死者のために喪屋をつくり、出産にさいしては産屋を設けて、そこに隔離されました。江戸時代後期の国学者、平田篤胤(1843没)は、「家のなかがけがれるときは、神棚もけがれるのは、やむをえないことである。私の家では父母の喪であれば50日、祖父母の喪であれば30日の間、神拝をやめます。忌明けには身を清めて、そのあと礼拝します」と記しています。

千葉葬儀社アスカより 「神棚封じ」について。

末期の水

現状

死にゆく者に対して、家族が枕元に寄って順番にその口許を水でうるおすことを「末期の水」あるいは「死(に)水」をとるといいます。新しい筆か、箸の先に脱脂綿を巻いて糸でしばり、それに水をふくませて、軽く口を湿らせます。この作法は、本来死者の命が蘇ることを願って行うもので、死者に何かをしてあげたいという遺族の心情にふさわしい儀式といえるでしょう。

かつては臨終の間際に行なわれるものでしたが、現在では息を引き取ったあとに行います。

死(に)水をとる順序

死水をとる順序は一般に喪主、そして血縁の近い順とされています。最初は配偶者、次に子、そして故人の両親、兄弟姉妹、子の配偶者、孫の順となります。

  • 死水をとるのは、ご遺体が病院から自宅に帰ってきて、布団に安置された直後に行われます。
  • 家族がそろっているとよいのですが、揃っていない場合には、揃うのを待って行うことがあります。
  • 道具は箸の先に脱脂綿を巻き付け紐で縛り、それに水をふくませて唇を湿らすのです。
  • 脱脂綿の代わりに、しきみや菊の葉に水をつけ、それで死水をとることもあります。
いわれ

仏典『長阿含経』の中に「末期の水」の由来となる話がのっています。

「末期を悟られた仏陀は弟子の阿難に命じて、口が乾いたので水を持ってきて欲しいと頼んだ。しかし阿難は河の上流で多くの車が通過して、水が濁って汚れているので我慢して下さいと言った。しかし仏陀は口の乾きが我慢できず、三度阿難にお願いをした。そして『拘孫河はここから遠くない、清く冷たいので飲みたい。またそこの水を浴びたい』とも言った。その時、雪山に住む鬼神で仏道に篤い者が、鉢に浄水を酌み、これを仏陀に捧げられた」とあります。これが仏典にある「末期の水」の由来です。

千葉葬儀社アスカより 「末期の水」について。

北枕と枕飾り

現状

病院から自宅に遺体をお運びしたら、布団に寝かせます。敷ぶとんは一枚、その上にシーツをかけ、掛けぶとんは一枚にします。安置する場所は仏間あるいは座敷で、故人の頭を北に向けて安置します。この時、故人の身体にドライアイスを目立たないように使用します。顔には白布をかけ、両手を胸の当たりで合掌させ、手には数珠をもたせます。事情によって北枕に出来ないときには、西枕にします。

枕飾り

遺体を安置したあとには「枕飾り」を準備します。故人の枕元に、白布をかけた小机を置きます。その上に

  1. ローソク立て
  2. 香炉
  3. 花立ての三具足の他
  4. 鈴(りん)

を用意して下さい。花立てにはシキミや白菊を飾ります。これを俗に「一本花」ともいいます。そして線香立てやローソク立てには、それぞれ線香、ローソクを立てて火をつけます。線香とローソクは消えないように、遺族の人が交替で見守っていてください。

※浄土真宗では水の中にシキミ一枚、あるいは花びら一枚を浮かべることがあります。

枕飯、枕団子、守り刀

「枕飯」は故人の使った茶碗を用意しご飯を山盛りにし、その上に箸を一本を立ててお供えします。「枕団子」を作り白紙を敷いた三方に供えます。また故人の枕元か胸の上に、葬儀社で用意した「守り刀」を置きます。

▼神式の枕飾り
遺体を北向きに寝かせ、案(台)とよぶ白木の八足の上に三方を置き、そこに洗米、塩、水、お神酒を器に入れて供えます。三方の左右には真榊、ローソクを置きます。

キリスト教式の枕飾り

キリスト教では本来、枕飾りの習慣はありませんでしたが、台の上に十字架、聖書、生花を飾り、ローソクの火を絶やさないようにすることが多いようです。

北枕のいわれ

仏典『涅槃経』に、「その時世尊は右脇を下にして、頭を北方にして枕し、足は南方を指す。面は西方に向かい」とあるように、釈尊が入滅されたとき、頭を北にし顔を西に向けられた姿を故事に由来します。この頭北面西は古くから伝わっており、法然上人の伝記のなかにも、「建暦二年、正月二十五日遷化。…頭北面西にしてねぶるがごとくにしておわり給いにけり」とあります。

枕飾りのいわれ

枕飾りのローソクの光は仏の光明を意味し、線香の煙は仏の食物を意味しています。又灯りは死者が迷わないように道を照らすという意味があります。「一本花」に用いるシキミは、神の意志の先触れをするとされる木で、その実が毒のため、「あしき実」からシキミと呼ばれるようになったといわれています。大変に生命力の強い木で、魔除けにもなるので昔から墓などにも植えられました。「枕飯」は、食物が肉体を養うならば、魂も養うという考えから、魂の形である丸形にして供えます。これは死者の依代(よりしろ)と考えられています。

「枕団子」は、釈迦が入滅したときに無辺身菩薩が香飯を捧げた故事に基づいています。また地域によっては、死んでから善光寺に行くための弁当という信仰があります。枕団子の数は六個が多く、これは六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六世界)を巡る象徴で、六文銭を死者が身につけていくのも同じ考えの現われです。「守り刀」は邪霊を払うために用いると言われています。また武士が死んだとき、枕元に刀を置いた名残りともいわれています。

枕団子の作り方(11個の場合)

上新粉(米の粉)をぬるま湯でかためによく練ります。

  1. 直径3センチくらいの団子を11個作ります。
  2. 小皿を用意します。
  3. 皿の真ん中に一個置き、その回りに6個置きます。
  4. 7個の上に3個置きます。
  5. 1番上に1個置きます。
  6. 5分程度蒸して完成です。

※浄土真宗ではお供えしません。千葉葬儀社アスカより 故人の枕飾りと北枕について。

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